――コンピュータとの出会いを教えてください。
川合 コンピュータに出会ったのは小学4年のとき。伯父のおさがりの富士通「FM-8」を譲ってもらいました。購入当時の価格だと100万円近いものだったはずですが、今では粗大ゴミに出して、反対にお金を取られるくらいですかね(笑)
私はファミコンが欲しかったのですが、親としてはゲーム機よりもパソコンのほうが教育上良いと考えたのでしょう。ファミコンを買うお金をケチったかもしれません。パソコンとは言ってもFM-8は8ビットですから、今のパソコンと比べたらとても遅いものです。
――ゲームをやりたかったのに、古い8ビットパソコン。困りますよね。
川合 はい。ソフトを買うお金もないし、お金があったとしても古すぎて手に入りません。友達のファミコンゲームを見て「あんなのが出来たらいいなあ」とうらやんでいました。歩いて1時間くらいの図書館に小学生向けのパソコンの本があったので、3カ月ぐらい読みあさって、BASICでゲームを書き始めました。アルファベットの「A」がキーで上下左右に動いて、ランダムに動く「B」をピストルで撃つものとか、インベーダーゲームみたいなものとか、最初に作ったのはそんなものだったと思います。
――それでプログラミングにはまり込んでいった。
川合 プログラミングは好きでした。当時は友達が多いほうではなかったので、ほかにやることがなかっただけです。鉄道模型も好きなのですが、中学のときにお金がかかる趣味だから止めようと、きっぱりあきらめました。パソコンは自分でプログラミングをしているだけなら、フロッピーディスクさえあればいいわけです。ほとんどお金がかかりません。自分の経済力に合っていました。
――では、ずっとFM-8で?
川合 そんな感じです。中学のときに「FM-7」という1つ新しい機種にしたのですが、それでもCPUのクロック数は2MHzです。これは当時としても遅い。「PC-9801」シリーズですら10~20MHzぐらい出ていたのに、その10分の1ですから。FM-7は中古で1万円だったのですが、私にはこれが限界でした。
自分のコンピュータ環境は今にして思えば劣悪でした。友達はいいパソコンやファミコンで面白いゲームをしていて、それに、追いつこう、追いつこう、とプログラム技術が自然に磨かれていきました。ちなみに、自分で作ったゲームを自分でやっても面白くはありませんから、友達にやらせてみて、簡単だと言われれば難しくしたり、難しいと言われればやさしくしたりしていました。私はゲームがやりたかったはずだったのに、いつの間にか完全に作り手になっていました。
――ゲームプログラマーに向いていたんじゃないですか?
川合 そうだったかもしれません。しかし、私の父が自分でパソコンを与えておきながら「コンピュータで遊んでいるようなやつには、ろくなやつがいない」と言いだします。その言葉を真に受けて、プログラミングとは無縁な普通の大企業に行こうと思っていました。しかし大学生の頃から考えが変わってきました。
大学生の頃には、自分はゲームを作ることそのものよりも、いかにゲームを楽に作るか、という方向に興味の対象が変わっていました。ゲーム開発での苦労から、プログラム言語を修正したり、OSから作り直さないとダメだと考え始めていました。
一度そんなふうに思ってしまったら、ゲームよりもOSが作りたくなってしまいました。パソコン部に入って、OS作りに没頭していました。全部失敗作でしたが(笑)
――失敗と言いますと?
川合 いきなりOSを全部1人で作れるわけがないのですよ。でも、「OS-9」やせめて「MS-DOS」程度なら自分で作れるんじゃないか、と信じていました。しかし構想はそれよりずっと大きくなっていって、自分の実装力がまったく追いつきませんでした。
半年や1年で作り直しを何回も繰り返しました。作ったOSが起動すらしないのに、次の構想に移って、の連続です。世間を知らなかったから、この機能もあの機能も欲しい、と頭の中でどんどん膨らんでいきました。始めの頃は本気で作っていたのですが、途中から失敗を前提にして作るようにもなりました。そんなレベルのものを含めれば失敗したOSの数はゆうに10個を超えています。
――専攻されていた物理学よりもなぜコンピュータだったのですか?
川合 物理はものすごく好きで、コンピュータは2番目と位置付けていました。でも、物理の分野でいくら頑張っても自分は3流にしかなれないと思うようになりました。コンピュータ分野なら、もしかしたら1流の一歩手前までいけるかもしれない。OSASKのようなOSを作っている人間は世界のどこにもいないように見えたので、自分がやらなければ誰もやる人はいないだろう。OSが完成しなくていいから、ダメもとでこの道を突き進もう、と。全力を出し切って頑張ることなしに、あきらめることができない性格なのです(笑)
就職をせず、学生時代にアルバイトでためたお金で4、5年食いつないでOSを作ろうと決心し、背水の陣で望んだわけです。
――それがOSASK計画なんですね。
川合 そうです。と言いながら、3年目で資金が尽きてしまいました。その頃にはオープンソースになっていたのですが、そのとき既に出来ていたコミュニティになんとなくぼやいてしまいました。
「実は個人的にそろそろお金がなくなりそうなので、アルバイトをしようと思います。開発ペースが遅くなりそうです。すみません」
そしたらコミュニティがいい話をいろいろと提案してくれました。その1つが未踏ソフトウェア創造事業でした。ここに通れば、好きなことをやってお金をもらえますよ、と。
結局、未踏ユースとして採択されたのですが、なんとソフトウェアが認められたのではなくて、コミュニティの中心が中学生だったから拾ってもらえたという結果。それはものすごいショックでした。こんな理由だったら、お金なんかいらないと思うほどです。しかし最後はドン・キホーテ的で向こう見ずなところがあるけど、一流だと認めてもらえました。スーパークリエイターには選ばれなかったけど、準ずるものだと言われたのでよかったです。
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