――コンピュータとの出会いはどんな感じだったのですか。
松信 私自身がパソコンに触れたのは大学に入ってから。テレビゲームが好きだったので、コンピュータを使っていたといえば使っていたんですが、普通に遊ぶだけ。ゲームがどう動いているかにはまったく興味はありませんでした。
高校時代は物理が得意だったから「大学は理系に行こう」と決めていて、東京大学の理科I類に進みました。プログラミングも大学の授業で初めて知ったぐらいで、そもそもソフトウェアが何で動いているかも知りませんでした。Pascalの授業だったのですが、まさに授業のためだけにやっているという感じで、面白いと思うこともなかったんです。
ただ、当時はITバブルの頃、昔ならハードウェアでなければできなかったことをソフトウェアで実現できるようになっていると知って、ソフトウェア業界に興味を持つようになりました。ソフトウェア業界なら「食いっぱぐれがないだろう」という安易な考えだったんですけどね(笑)
結局、ハードウェアとソフトウェアの両方をやれる機械情報工学を専攻して、データベース(DB)の研究をしました。ただ、自分はプロとしてしっかり働き、利益を上げてそれに見合う対価をもらうほうが向いている感じがしたので、研究よりも早く社会に出て仕事をしたかった。
あまりエンジニアっぽくはないかもしれませんね(笑)
――最初はソニーの情報システム部門に所属されていたんですね。
松信 ええ、そうです。周囲の影響もあって、経営にソフトウェアをどう生かしていくかに興味を持っていました。それには情報システム部門が向いているだろうと、自分で希望したんです。
情報システム部門というのは、技術的な観点からどんなシステムが業務に適しているのか、どのように業務を標準化していくかなどを考えるところ。それも世界的な企業の中でソフトウェアやシステムをビジネスにどう生かしていくか、を考えられるというのは非常に恵まれた機会でした。
――松信さんは「MySQL」で有名なわけですが、どのような経緯で関わられるようになったのですか?
松信 2004年ぐらいのことですが、社内で使っている商用のソフトウェア製品は高すぎるんじゃないか、ということになったんです。そして、コスト的に安いオープンソースを適用できる範囲というのはいろいろあるのではないか、と技術評価が始まりました。
私はJavaアプリケーションサーバの「JBoss」とMySQLの技術検証を担当することになりました。それがMySQLに関わるようになった最初です。個人の技術的な興味というよりは、会社の経営的な観点からオープンソースに携わるようになったといえるかもしれませんね。
ソニーは日本を代表するようなエンジニアリングの企業ですから、技術的な検証を非常に重視します。検証の中でいろいろとMySQLを調べたのですが、その頃はネット上にもほとんど情報がないという状態。そこで「もっと技術情報を発信したほうがよいんじゃないか」と考え、『DBマガジン』で記事を書き始め、有志の勉強会で発表するようになりました。
すると、MySQLユーザ会からの講演依頼が来たり、書籍化の話がまとまったり――最終的はMySQL社が日本法人を設立するということで、私にお呼びがかかったんです。
――既にオープンソースの世界に深く興味を持つようになっていたんですね。
松信 個人的にもオープンソースに深く関わるようになったのには、やっぱりきっかけがありました。
MySQLの技術評価を行う過程で、EUCの半角カナをシフトJISに変換すると文字化けするという現象が起きました。商用製品だったらサポートに聞いてお仕舞い、というようなものですが、とても気になったのでソースコードを見てみたんです。
文字コードの変換テーブルがあって、その変換ロジックが明らかにおかしかった。コードを書き直してみると、うまくいく。せっかく直ったのだからと、そのパッチをバグメーリングリストに送ったら、開発者からお礼のメールが来て、次のリリースから修正されていたんです。
この体験はかなり衝撃的でした。単なる末端のユーザーが送ったパッチが本家に採用されて、次のリリースでは直っているんですから。それに、使う側からすると、問題の恒久対応というのは気になるところ。オープンソースの場合は、その問題がソースコードのどのファイルの何行目にあるということまで分かる。これ以上ないというところまで問題を切り分けられるのですから、これほど助かることはありません。
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