偶然からCTOへ ライブドアCTO池邉智洋さん [okyuu.com]

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偶然からCTOへ ライブドアCTO池邉智洋さんのエンジニアライフ

エッジの効いたWebエンジニア集団として注目を集めているライブドア。CTOの池邉智洋さんはその技術メンバーを先頭で率いる。「ネットはもともと技術方のもの」「まずはやって見せることも大事」と語る同氏のエンジニア像に迫る。この企画はokyuu.com編集部が現在のエンジニア像をリレー形式で追っていくものです。 (取材・文=編集部)

池邉智洋(いけべともひろ)
1976年4月20日生 32歳 株式会社ライブドア執行役員CTO
【略歴】
2001年10月 株式会社オン・ザ・エッヂ(現:株式会社ライブドア)入社
2003年 7月 ウェブ事業部2グループマネージャー就任
2003年10月 ライブドア事業部に配属
2005年 5月 ネットサービス事業部開発グループマネージャー兼チーフプログラマー就任
2006年 2月 ネットサービス事業本部ネットサービス事業部システムグループマネージャー就任
2006年 7月 メディア事業部開発部シニアマネージャー就任
2007年 4月 新事業会社「株式会社ライブドア」執行役員CTO就任

株式会社ライブドア執行役CTOの池邉智洋さん

株式会社ライブドア執行役CTOの池邉智洋さん

――池邉さんは今ではライブドアの技術を統括するまでになっていますけど、そもそもWebエンジニアになるきっかけは何だったんですか?

池邉 偶然ですかねえ。Windows 95/98が出たころでしたから、大学で普通にネットワークを使っていました。そのとき流行っていた掲示板がどうやって作られているのか、中身に興味を持ったんです。「2ちゃんねる」とか、「あやしいわーるど」とか。子供の頃から分解が好きで、なんでも壊しちゃうタイプだったもので。

 プログラミングは大学の教養で勉強していました。だから、プログラムに抵抗はなかったし、見てみるとそんなに難しい技術で作られてなかった。それで、授業には行かないでPerlでバイトするようになっていました。

――最初に作ったのはどんなものでした?

池邉 確か、単純な掲示板だったような。

――バイトが高じて「オン・ザ・エッヂ」(当時)に?

池邉 学部卒では就職も厳しい時代でしたし、だからといって大学院に進む気もなかったんです。バイトでいろんな人と知り合うようになると、「京都にいたら何もできない、東京に出てくるしかないんじゃないか」と思うようになりました。

 それまで、個人でしか作ったことがなかったから、仕事としてチームで作る感覚とは違うんじゃないか、と不安もありました。でもユミルリンクに入社してみて、会社組織でやっていける自信がついた。それで、前々から興味のあったオン・ザ・エッヂに転職して、そのままずっと、という感じですね(笑)

――チームで作るというのは、実際にはどうでした?

池邉 最初は受託開発だったのですが、セールス方と技術方の語る言葉や、見ているもの、重きを置くものは異なっていて、そのバランスをとるのが面白かった。個人でやっていると、ただ手を動かしているだけという感じで、現実っぽさがなかったから。

――今のライブドアはどうですか?

池邉 ライブドアは伝統的に技術方の力が強いんです。いまはそれが自然だと思っています。

 国内のネットベンチャーの中でも技術方が強い会社っていうのは少ないと思うんです。特にビットバレーなどと言われていたころは、ほとんどの会社がセールスドリブンでした。でも、ネットはもともと技術方のもの、それを無理やり商売に使おうとしているわけだから、テクノロジードリブンが自然ですよね。

 もちろん技術だけでもダメだけど、いずれあらゆる力が加わってセールス寄りになっていく。先にある程度、技術方に寄せておいた方がバランスをとれます。

――「EDGE src」などの取り組みもそんな考えの延長から?

池邉 そういうわけではないですが、ネットでビジネスしている以上、こういう取り組みって必要なことですよね。

――ネット事業者の多くはオープンソースで成り立っていますからね。

池邉 ソースというはある程度のところまで公開していいと考えています。Webサイトの技術というのは、コンピュータサイエンスをやっているわけでなくて、教科書通りではないけれど、軽く速く安いっていう現場感に宿っています。

 そう考えると、ソースというのは会社のごく一部の要素に過ぎない。公開したからといってコンペティターが増えるなどといったリスクは限定的です。ソースだけで同じ設計や運用、ビジネスができるかというと、そうじゃない。それこそセールスや企画、ディレクションのスタッフのノウハウが必要だったりします。それは真似できない。

 ソースコードを公開するということは、ライブドアと切り離しても動くということです。だから、エンジニアも自然とモジュール化を考えるようになり、再利用性の高い設計をするようになります。人に見せるのですからソースもきれいになっていきます。

ネットにもやっぱり国境がある

――英語版RSSリーダーの「Fastladder」などもオープンソースにしましたが、海外での評判はどうですか?

池邉 なかなか難しいですね。ネットには国境が無いとうけど、実際にはある。マインドの違いというか、何を重視するかが異なる。ツールであればそこそこ行くかなと思ったけど、英語化したコスプレのコミュニティサイト「CURE」の方がうまくいっています。

 何人も海外に送り込んでガチガチにやれればいいかもしれませんが、それもリスキーです。やっぱり日本に圧倒的なアドバンテージが既にあるものを提供した方が数字的にはうまくいきます。

――日本人も技術的には劣らないという印象ですが。

池邉 海外のエンジニアの講演を聞いていてもそう変わらないと思いますね。ただ、海外のサービスには桁が1つ2つ違うものがあります。ライブドアのサービスも理論上どこまでもスケールアウトするように作ってはいるけど、やっぱり実際に受けてみないと分からない。自信はありますけど。

――オフではどんなことを?

池邉 何してるかなあ、ゲームかなあ。“積みゲー”タイプなんですけどね。だからというか、いまは「FF4」(FINAL FANTASY IV)をやっています。そういえば「龍が如く3」が今度出るのでと、前作の「龍が如く見参」の封を最近開けました(笑)

 基本的にはミーハーなんで、何でも買ってしまうんです。DVDも結構、積んでいますね(笑)

――Webエンジニアになってなかったら、どうしていたでしょう?

池邉 普通に大学卒業してたかな。なんだろう。

――例えば、システムエンジニアになっているとかは?

池邉 なかったでしょうね。同じプログラミングでも自分の見渡せるくらいの規模感の仕事がよかったから。Webはそういう意味で原始的ですからね。銀行の裏側のシステムを作れと言われても、それはそれでスケールが違いすぎるし、ゲームの世界もそんな感じがします。

プログラマー35歳定年説

――そういえば、76世代ももう数年で35歳ですね。

池邉 プログラマー35歳定年説ってよく言われますよね。最近本当にそう思うんです。仕事して13年ぐらい経てば、想像の範囲はだいたいできるようになっている。もちろん、できる事とできない事も分かってくる。その先は、他人を巻き込んで自分だけではできない大きな事ことをやるか、もっと頑張って自分がやれることを増やしていくしかない。そうなると、35歳くらいでキャリアがわかれていくのが自然なんだと思うようになりました。

――池邉さんはまだコードを書かれていますよね。

池邉 書いてますよ。コード書かないと、スタッフが言うこと聞いてくれないから。ライブドアは職人的なんです。料理の世界だったら、料理長ってだいたいのことはできる。みじん切りできない料理長なんて想像できないでしょ。やって見せるということが大事なんです。

 「早いとこプログラミングやめなきゃ」という人もいるけど、そんなことはなくて、できないよりできた方がいい。むしろ反対の方が難しくて、セールスの人が30過ぎてプログラミングをやろうとするよりは、先にプログラミングやっておいてマネジメントを身につける方が楽じゃないですか。30過ぎればマネジメント的な視点は感覚的に身についているわけで、その方が勉強も実践もしやすいし。

――最後に変なことお聞きしますけど、Webのエンジニアやってプライベートで良かった経験ありますか? 例えば、もてるとか?

池邉 どうだろう(笑) でも、そういうのって大切ですよね。その人が使っているブログサービスやSNSとかを作っていますって言ったら、もてそうだなあ。

子供の頃、プラモデル作っている人とかすごいと思いませんでした? みんなが使っているものを作っているんだから、エンジニアには夢がありますよね。

※次回は『モダンPerl入門』の著書知られる牧大輔さんを予定しています。

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